こんにちは。
今回は建築家の村野藤吾の建築作品13選。代表作の世界平和記念聖堂や日生劇場などです。
文化勲章も受賞している日本を代表する建築家の村野藤吾氏。
巨匠丹下健三氏ともよく比較され、国内に様々な建築物を手掛けてきましたね。
そこで、今回は建築家の村野藤吾の建築作品をまとめました。
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CONTENTS
村野藤吾とは
村野 藤吾(むらの とうご、1891年5月15日 – 1984年11月26日)は、日本の建築家。
建築家の村野藤吾の建築作品!
ここからはいよいよ、実際に建築家の村野藤吾の建築作品を見ていきましょう。
渡辺翁記念会館
渡辺翁記念会館(わたなべおうきねんかいかん、英:Watanabe Memorial Hall)は、山口県宇部市朝日町に所在する音楽ホール。
渡辺翁記念会館は、のちに宇部興産ビル(宇部全日空ホテル)や旧宇部銀行館、宇部興産宇部ケミカル工場事務所など、宇部市に関連した多数の設計にかかわることになる村野藤吾の、同市における最初の仕事であり、村野自身も「私の出世作」と語っている。
渡辺翁記念会館の設計にあたって、村野は早稲田大学の音響学者である佐藤武夫の助言を受けるなど音楽ホールとしての音響特性に特に注意した。
その結果、特に舞台上で他の演奏者の演奏がよく聞こえるなど演奏に適した音響特性が実現され、1951年(昭和26年)、バイオリン奏者ユーディ・メニューインの来日時の演奏会場に指定されたことなどをきっかけに音響効果のすぐれたホールとして広く知られるようになった。
同館は、良質の材料が十分に使用されたことや2度の大改修を含む適正な維持管理が行われてきたことから、西日本でもっとも歴史のある音楽ホールの一つとして今日でも国内外の演奏家によって利用されている。
同館は、このような長期にわたる利用を可能とする設計と、その後の実際の適切な維持管理とを表彰して、1995年(平成7年)の第4回BELCA賞ロングライフ部門に選ばれている。
村野の設計による同記念館は、戦前期の前衛建築として最高傑作の一つに数えられ、1997年(平成9年)6月12日には登録有形文化財に、2005年(平成17年)12月27日には村野の作品として初めて国の重要文化財に指定された。
建物は鉄筋コンクリート構造(会堂部分は鉄骨鉄筋コンクリート構造。
外壁は黒褐色タイル張りとする。
客席両脇の側廊などが後に増設されているが、おおむね竣工当初の形態を残している。
会館前のテラスには正面に長方形の「記念碑」、左右に3本ずつ計6本の「記念柱」があり、これらは会館を寄贈した7つの企業を象徴している。
山口県宇部市朝日町にある村野藤吾氏が設計した音楽ホール「渡辺翁記念会館」!
村野藤吾氏の戦前の代表作で、曲率の違う三つの壁面からなるファサードが特徴の建物です。
上から見ると飛行機のような形の平面になっていますよ。
この作品は国の重要文化財に指定されており、DOCOMOMO JAPAN選定 日本におけるモダン・ムーブメントの建築にも選ばれていますよ。
世界平和記念聖堂
世界平和記念聖堂(せかいへいわきねんせいどう)は、広島県広島市中区にある、キリスト教(カトリック)の聖堂。
カトリック幟町教会(カトリックのぼりちょうきょうかい)の聖堂であり、カトリック広島司教区の司教座聖堂となっている。
広島世界平和記念聖堂(ひろしませかいへいわきねんせいどう)とも呼ばれる。
建築家村野藤吾設計によるRC造、三廊式バシリカの教会堂で、1950年(昭和25年)8月6日に着工され、1954年(昭和29年)8月6日に竣工した。
2006年(平成18年)7月5日には重要文化財に指定されている。
広島の幟町にある村野藤吾氏が設計したカトリック教会「世界平和記念聖堂」!
コンクリートの梁と柱の間にレンガを積んだ壁がモダンな印象のファサードです。
アーチ状の間口、窓の形や模様など細部までこだわりを感じる建物となっています。
この作品は重要文化財に指定されており、DOCOMOMO JAPAN選定 日本におけるモダン・ムーブメントの建築にも選ばれていますよ。
カトリック幟町教会 世界平和記念聖堂 | Memorial Cathedral for World Peace
日生劇場(日本生命日比谷ビル)
日生劇場(にっせいげきじょう、英語:Nissay Theatre)は、東京都千代田区の日本生命日比谷ビルの中にある劇場である。
完成時の座席数は1,358、現在の座席数は1,330となっている。
重厚な外観と幻想的な内装を持つ建物として知られる。
日本生命日比谷ビル・日生劇場は建築家村野藤吾の代表作のひとつで、1963年9月竣工(設計村野・森建築事務所、施工大林組)。
鉄骨鉄筋コンクリート造8階建、地下5階。
オフィス部分と日生劇場から構成される複合ビルである。
オフィス部分には、竣工後、日本橋の日本生命館(日本橋高島屋)から日本生命東京総局(後に東京本部)が移転してきた(ただし、東京本部機能の多くは2004年、丸の内オアゾの日本生命丸の内ビルに移転している)。
劇場の客席天井・壁は音響効果上、うねるような曲面で構成されており、天井には2万枚ものアコヤ貝の貝殻が散りばめられている。
建築界においては、花崗岩で仕上げた古典主義的な外観やアコヤ貝を使った幻想的な内部空間などが、当時の主流であったモダニズム建築の立場から「反動的」といった批判も受けた。
2006年には、日本生命日比谷ビルと合わせてDOCOMOMO JAPAN選定 日本におけるモダン・ムーブメントの建築に選ばれている。
東京都千代田区有楽町にある村野藤吾氏が設計した劇場「日生劇場(日本生命日比谷ビル)」!
ホールの天井にはアコヤ貝が埋め込まれ、天井も壁も湾曲した洞窟のような空間となっています。
当時はフランク・ロイド・ライトが設計した帝国ホテルが隣に建っており、それを見るための窓も設置されていました。
日生劇場と日本生命日比谷ビルはDOCOMOMO JAPAN選定 日本におけるモダン・ムーブメントの建築に選ばれており、日本生命日比谷ビルは日本建築学会賞作品賞も受賞しています。
新歌舞伎座(大阪)
大阪市南区(現:中央区の南側)難波に1958年(昭和33年)10月開場、2009年(平成21年)6月閉館した初代新歌舞伎座。
客席は三層、収容人員は1638名。
「観光劇場」と銘を打ち、桃山風の人目を引くデザインは村野・森建築事務所(村野藤吾)の手によるもので、内装も豪華な造りとなっていた。
ただし、歌舞伎興行に不可欠の回り舞台は敷地の関係から設置を断念したため、スライディングステージで代用していた。
2012年(平成24年)にはDOCOMOMO JAPAN選定 日本におけるモダン・ムーブメントの建築に選ばれた。
大阪市中央区難波にある村野藤吾氏が設計した劇場「新歌舞伎座」!
唐破風が並んだデザインが特徴のインパクトのある建物です。
2015年に解体されたようで、非常に残念です。
この作品はDOCOMOMO JAPAN選定 日本におけるモダン・ムーブメントの建築に選ばれていますよ。
旧千代田生命保険(目黒区役所)
千代田生命保険相互会社(ちよだせいめいほけん)は、かつて存在した日本の生命保険会社。
2000年に経営破綻し、2001年にAIGスター生命保険株式会社へ包括移転されたが、その後プルデンシャル・ファイナンシャルが買収した事に伴い2012年1月にジブラルタ生命保険へ吸収合併され、同社に承継されている。
本社ビルは村野藤吾設計により東京都目黒区中目黒のアメリカンスクール跡地に1966年に建てられた。
経営破綻後は目黒区に売却され、現在は内装等を大きく改装し、目黒区役所(目黒区総合庁舎)となっている。
東京都目黒区中目黒にある村野藤吾氏が設計したオフィスビル「千代田生命保険」!
1966年に千代田生命保険本社ビルとして建てられ、2003年からは目黒区役所として使われています。
村野藤吾氏の代表作の一つで、アルミ鋳物のファサードが特徴の建物です。
この作品で1969年にBCS賞を受賞していますよ。
そごう大阪店
そごう大阪店はそごう一号店として、旗艦店の役割を果たしていた。
1877年の心斎橋移転以来、隣接する大丸とは呉服店・百貨店として競合関係にあったが互いに切磋琢磨し合い、結果的に心斎橋筋商店街全体の活性化につなげた。
しかしながら、昭和初期になると阪急、阪神、大軌(近鉄上本町)、大鉄(近鉄あべの)といったターミナル駅併設型店舗が登場する。
中心市街型店舗だった長堀橋の高島屋はターミナル駅併設型店舗の優位性にいち早く対応し、難波へ移転。
中心市街型店舗の中でも比較的好調だった大丸も昭和後期には梅田への新規出店に踏み切った。
バブル崩壊後、中心市街型店舗の当店や北浜の三越(2005年閉店)、日本橋から天満橋へ移転するも駅のターミナル性低下に苛まれた松坂屋(2004年閉店)は低迷が顕著化するようになり、最終的には株式会社そごうの経営破綻と共に2000年に閉店へと追い込まれた。
長らく親しまれていた、そごう大阪店の建物は1935年に完成し、アールデコ様式で村野藤吾の設計による。
建物内にはシンボルゾーン「光の樹」。
藤川勇造作のシンボルモニュメント「飛躍の像」。
エレベーターは島野三秋作の「漆螺鈿装飾扉」。
モザイクタイル天井画は鶴丸梅吉作の「天空」があった。
地下には、「世界の人形時計」が設置されていた(閉鎖後、解体に伴い撤去)。
2003年の解体においては、保存の要望や解体の反対運動が起きるなど、その歴史的価値を高く評する者もいた。
大阪市中央区心斎橋にある村野藤吾氏が設計した百貨店「そごう大阪店」!
縦型のルーバーが特徴の美しい建物で、ブロンズ像などがアクセントとなっています。
内部はアールデコ風の豪華なデザインとなっていますよ。
こちらも残念ながら2003年に解体されています。
ルーテル学院大学
ルーテル学院大学(ルーテルがくいんだいがく、英語: Japan Lutheran College)は、東京都三鷹市大沢3-10-20に本部を置く日本の私立大学である。
1964年に設置された。
校舎は建築家村野藤吾が78歳の時に設計したもので、その代表作の一つと言われている。
東京都三鷹市大沢にある村野藤吾氏が設計した校舎「ルーテル学院大学」!
シンプルな造形にモルタルを荒く吹き付けた外観が特徴の建物で、村田藤吾氏の代表作の一つと言われています。
チャペルを中心に本館や学生寮、図書館、食堂、ホールなどがつながり、一つの建築物となっていますよ。
丸栄本店
株式会社丸榮(まるえい、丸栄、英: MARUEI DEPARTMENT STORE COMPANY, LIMITED)は、名古屋市中区栄三丁目に本社をおく企業。2018年(平成30年)6月まで同名の百貨店を運営していた。
「4M」と呼ばれる百貨店の1つであった。
日本百貨店協会に加盟。
業態としては百貨店事業からテナント事業への転換を進めている。
1953年に完成した丸栄本店は、代表的なモダニズム建築家の村野藤吾の手によって設計されたものである。
百貨店建築として日本建築学会賞作品賞を受賞した全国唯一の建築として知られ、また、「戦前期の建物を基に増改築を重ねた全国でも珍しい建物」として日本建築学会が取り壊しの中止を求める要望書を出している。
愛知県名古屋市中区栄にある村野藤吾氏が設計した百貨店「丸栄本店」!
紫のタイルとモザイク壁画が特徴の建物で、村野藤吾氏の代表作の一つです。
本館の階段の手すりには木を曲げたデザインになっており、鉄柵もユニークなデザインを採用していますよ。
この作品で1953年に日本建築学会賞作品賞を受賞しています。
ウェスティン都ホテル京都(佳水園)
ウェスティン都ホテル京都(ウェスティンみやこホテルきょうと、The Westin Miyako Kyoto)は、京都府京都市東山区粟田口華頂町1番地に所在する最高級ホテル。
都ホテルズ&リゾーツの中心ホテルであり、スターウッド・ホテル&リゾートが展開するウェスティン・ホテルズ&リゾーツの1つでもある。
運営は近鉄・都ホテルズで、旧名称は(「都ホテル京都」ではなく)「都ホテル」。
1960年には村野藤吾の設計による現在の本館が完成。
佳水園庭園内の和風別館「佳水園」は村野藤吾の設計により1959年に完成し、戦後の数寄屋造り建築の傑作としても知られる。
佳水園ではホテルにいながら伝統的な日本旅館のサービスを受けることができる。
2003年には佳水園がDOCOMOMO JAPAN選定 日本におけるモダン・ムーブメントの建築に選ばれている。
京都府京都市東山区三条けあげにある村野藤吾氏が設計したホテル「ウェスティン都ホテル京都」!
本館の他にも数寄屋造りの和風別館「佳水園」も村野藤吾氏が手掛けています。
敷地の高低差を生かした造りになっており、佳水園の庭園は京都市文化財に登録されていますよ。
和風別館「佳水園」はDOCOMOMO JAPAN選定 日本におけるモダン・ムーブメントの建築に選ばれています。
迎賓館本館(旧赤坂離宮)
日本が独自の文化を守りながらの西洋化と富国強兵に突き進んでいた時代を象徴して、天皇を『武勲の者』という印象を表現するために、正面玄関の屋根飾りや内装の模様などに鎧武者の意匠があるなど、建物全体に西洋の宮殿建築に日本風の意匠が混じった装飾になっている。
また、当時電気が珍しかった日本においてイギリス製の自家発電装置を備え付けて照明に電気を使い、アメリカ製の自動温度調節機能付き暖房装置を設置した。
ただし、この暖房装置は正常に作動せず、室温が突然上がったり下がったりするトラブルに幾度も見舞われたという。
煉瓦石造で西欧様式の建物は高温多湿の日本の気候には全く適さず、晩春から早秋にかけては天候によっては室内の湿度が著しく上がり、暖房はあっても冷房はないために居住性が著しく低く、これに対処するために片山東熊は電気式の除湿機を設置する計画も考えていたが、こちらは実行に移されなかった。
建築当初の調度品はタペストリーなど日本製の物もあったが、椅子などの家具の多くはドイツやフランスなどから輸入したものを使用していた。
この建物が迎賓館になった際に建物から放出されたこれらの家具の一部は現在博物館明治村に保存・公開されている。
東京都港区元赤坂にある村野藤吾氏が改修した迎賓施設「迎賓館本館(旧赤坂離宮)」!
大改修工事は1968(昭和43)年から行われ、1974(昭和49)年に完成しました。
一般公開もされており、公開時間内に限り自由に入ることができますよ。
この作品は2009年に国宝に指定されています。
横浜市庁舎(市役所)
横浜市役所(よこはましやくしょ)は、地方公共団体である横浜市の執行機関としての事務を行う施設(役所)である。
中区港町に置かれている現在の市庁舎は7代目で、横浜開港100年記念事業のひとつとして、村野藤吾の設計により1959年(昭和34年)に竣工した。
また、2007年(平成19年)から2009年(平成21年)にかけて耐震補強工事を実施している。
近年、業務拡大のため建物が手狭になったことに加え、老朽化が進行し、前述の通り耐震補強工事は実施されたものの巨大地震に際しての耐震性については問題があることなどから、横浜市庁舎の移転・建て替えの議論がなされている。
北仲通南地区(中区本町6丁目)への「全面移転案」と、北仲通南地区と現庁舎(港町)からなる「分庁舎案」があり検討されていたが、現在では全面移転とする方針が固められている。
横浜市中区港町にある村野藤吾氏が設計した市役所「横浜市庁舎」!
高層の庁舎棟と中層の市会棟を低層の建物が結んでおり、その低層の建物には市民広場を設け、吹き抜けの大空間となっています。
柱と梁の間をタイルで埋めたファサードが特徴で、庁舎棟は壁面や窓、バルコニーがランダムに配置されていますよ。
小諸市立小山敬三美術館
小諸市立小山敬三美術館(こもろしりつこやまけいぞうびじゅつかん)は長野県小諸市にある美術館。
懐古園内の高台にある小諸市出身の洋画家小山敬三の個人美術館。
小山敬三が建築家村野藤吾設計の館建物と所蔵作品を小諸市に寄贈し、1975年に開館した。
館は外部内部とも曲線を多用するデザインで、館内は湾曲した壁面に絵画が展示される。
館に隣接して旧居兼アトリエが移築されて、記念館として公開されている。
長野県小諸市にある村野藤吾氏が設計した美術館「小諸市立小山敬三美術館」!
白壁と曲線が特徴の美しい建物で、村野藤吾氏の作品にしてはこじんまりとした建築です。
美術館の窓からは千田川の絶景を楽しめますよ。
この作品で1977年に毎日芸術賞を受賞しています。
ザ・プリンス 箱根芦ノ湖
神奈川県足柄下郡箱根町元箱根にある村野藤吾氏が設計したリゾートホテル「ザ・プリンス 箱根芦ノ湖」!
円形の建物に美しいバルコニーが設置されており、クラシックな雰囲気となっています。
樹木を避けて建てられた分塔となっており、高さも樹木より低くなるよう抑えられています。
独特な形状の天井や石の壁、赤い絨毯などが設けられた高級感のあるロビーには、村野藤吾氏自身がデザインしたスワンチェアが置かれていますよ。
この作品でBCS賞を受賞しています。
村野藤吾氏の135作品を紹介した本もありますよ。
どの作品も素晴らしく、大切に残していきたい建築ですね。
以上で建築家の村野藤吾の建築作品13選。代表作の世界平和記念聖堂や日生劇場などでした。
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