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今回は近代建築の巨匠フランク・ロイド・ライトが設計した建築物15選です。
空間の魔術師と呼ばれ、今でも多くの建築家やデザイナーに影響を与え続けているフランク・ロイド・ライト!
波乱万丈な人生でも有名ですが、そんなフランク・ロイド・ライトが設計した建築物をまとめました。
フランク・ロイド・ライトとは
フランク・ロイド・ライト(Frank Lloyd Wright、1867年6月8日 – 1959年4月9日)は、アメリカの建築家。
アメリカ大陸で多くの建築作品があり、日本にもいくつか作品を残している。ル・コルビュジエ、ミース・ファン・デル・ローエと共に「近代建築の三大巨匠」と呼ばれる(ヴァルター・グロピウスを加え四大巨匠とみなす事もある)。
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近代建築の巨匠フランク・ロイド・ライトが設計した建築物!
カウフマン邸/落水荘
落水荘(Fallingwater)は、アメリカの建築家フランク・ロイド・ライトによって1935年に作られた建物である。
ペンシルベニア州のピッツバーグから南東に80kmほどの場所にある。エドガー・カウフマンの邸宅として作られた。
フランク・ロイド・ライトの代表作の一つの落水荘!
まるで、滝の上に建てられたかのような住宅です。
見学することも可能ですよ。
建築好きは見に行くべきですね。
落水荘のレゴもありますよ。
LEGO レゴ Architecture 第6弾 落水荘 カウフマン邸 Fallingwater フランク・ロイド・ライト [21005]【並行輸入】 |
ミラード邸
ミラード邸(Millard House, 別名La Miniatura)は、アメリカの建築家フランク・ロイド・ライトによって1923年に作られた建物である。
カルフォルニア州のパサデナに、希少本ディーラー、ジョージ・ミラードの未亡人で、アンティークの輸入家具商をしていたアリス・ミラードの邸宅として建てられた(ライトは1906年にもイリノイ州でミラード夫妻のためにプレーリー・スタイルの家を手掛けている)。パサデナのこの新居は、ライトが提唱したユーソニアン・ハウスの初期の作品のひとつで、彼が考案したテキスタイル・ブロック(textile block)と呼ばれるコンクリート製ブロックを使った工法で建てられている。竣工当初は、誰が大金を出してコンクリートの家に住みたがるのか、と嘲笑されたが、1970年代ごろから評価が劇的に上がった。ライトによるテキスタイル・ブロック工法の家は ミラード邸をはじめとしてロサンゼルス周辺に4つあるが、現在はライトの重要な作品のひとつとして、いずれもアメリカ合衆国国家歴史登録財に指定されている(他の3つは、Ennis House、Storer House、Samuel Freeman House)。
ミラード邸のあるパサデナの高級住宅地プロスペクト・クレセント通りには当時、人気建築家による家が多数あり、ここに土地を手に入れたアリスは、知り合いのライトに設計を打診した。ライトはバーンズドール邸(1917年)と帝国ホテル(1923年)で鉄筋コンクリート工法を試しており、その進化形としてテキスタイル・ブロックを使いたいと申し出た。また、のちの落水荘同様、水辺を取り入れた起伏のある設計を提案し、アリスに土地の買い替えを勧めた。アンティーク家具の輸入業を始めていたアリスは彼女の好みである装飾的な暖炉や木の扉、デルフト・タイルなどを使うことを条件にすべてを快諾した。ライトは喜んで、設計料を値引きしたが、最終的には予定の倍近くの工費がかかった。
沢のある約400平米の敷地の中に、本館と別館、池のある庭がある。本館は3階建てで、寝室と浴室が各4つ、台所が2つ、居間、食堂、車庫が各1つずつ。高低差のある地形をそのまま生かしたフロア構成や、部屋から直接庭に出られる大きく開放的な窓など、ライトならではの自然と調和したデザインが特徴である。1926年に、書斎兼ゲストルームとして、敷地内に小さなスタジオが建てられた(設計はライトの息子、ロイド・ライト)。
現在は建築コレクターのCMプロデューサーが所有しているが、2009年から売りに出ている。当初1500万ドルで市場に出たが、買い手が見つからず、2012年に4,495,000ドルに値下がりし、2014年現在は400万ドルを切っている。美しく、貴重な建造物であるにもかかわらず、何年も買い手が現れないのは、他の3つのテキスタイル・ブロックの家に比べてミラード邸は鉄筋が少なく、悪名高い雨漏り(ライト設計の家でしばしば見られた欠陥)のせいで、鉄筋が錆びてコンクリート・ブロックにまで影響が出ているためではないかと見られている。現地を訪れたライトの孫で建築家のエリック・ロイド・ライトも、構造的な問題を指摘している。
1923年にカルフォルニア州のパサデナに建てられたテキスタイルブロック住宅です!
ソロモン・R・グッゲンハイム美術館
ソロモン・R・グッゲンハイム美術館(Solomon R. Guggenheim Museum、通称:グッゲンハイム、グッゲンハイム美術館)は、アメリカ合衆国ニューヨーク市マンハッタン区アッパー・イースト・サイドにある、近現代美術専門の美術館、ソロモン・R・グッゲンハイム財団が運営するグッゲンハイム美術館の一つ。
アメリカの鉱山王・ソロモン・R・グッゲンハイム(1861年 – 1949年)は、ビジネスの第一線から退いたあと、ドイツ貴族で画家のヒラ・ヴォン・リベイの協力のもと、現代アートのコレクションを始めた。それらを収蔵したこの美術館は1937年に財団として設立され、2年後の1939年、ニューヨークのマンハッタン東54丁目24番地に開館した。5番街の現在地へ移ったのは、1949年のことである。以後、ニューヨーク近代美術館とともに現代美術の発展普及に大きな役割を果たしてきた。
現在の美術館は1943年にフランク・ロイド・ライトに建築設計が委託され、ライトは翌年には建築設計案を作成したが、工事に取り掛かるまでには紆余曲折があり、創立者のグッゲンハイムは没年の1949年になってようやくライトの設計案を承認した。それから建物の竣工までにはさらに10年間の歳月を要した。完工したのは1959年、ライトの死後半年後のことであった。(ここまで時間がかかった原因の一つに、この前例のない特徴的な建築物に対し、ニューヨーク市当局が建築基準法に触れる為に許可を出すのを渋った事情からともいわれている。)
「かたつむりの殻」とよく形容される螺旋状の構造をもったこの建築物は、中央部が巨大な吹き抜けになっている。見学者は、まずエレベーターで建物の最上部に上がり、螺旋状の通路の壁面に掛けられた作品を見ながら順路を進むうちに自然に階下へ降りるようになっている。美術館施設の概念を根本から覆した作品として、ライトの代表作に数えられている一方で、建築自体の自己主張が大きすぎ、床が傾斜しているため鑑賞者が落ち着かず、美術品の鑑賞をさまたげるという批判もある。
フランク・ロイド・ライトの代表作の一つのグッゲンハイム美術館!
白いカタツムリのようなユニークな美術館です。
建物自体そんなに大きくないので、半日もあれば、一通り回れるみたいですよ。
ジョンソンワックス社
フランク・ロイド・ライトの代表作の一つのジョンソンワックス社!
柱が特徴的で蓮の葉のようなデザインになっています。
オフィスビルの設計は珍しですね。
帝国ホテル旧本館(ライト館)
1914年(大正3年)頃から、当時の総支配人だった林愛作は旧知のアメリカ人建築家、フランク・ロイド・ライトと新館設計の相談を重ね、1916年(大正5年)に契約を結んだ。翌1917年(大正6年)にライトは来日し、1919年(大正8年)9月、着工した。ライトは使用する石材から調度品に使う木材の選定に至るまで、徹底した管理体制でこれに臨んだ。
鷲が翼を広げたような巨大なホテルは、10のブロックをエキスパンションジョイントで繋ぎ合わせた構造になっており、これで建物全体に柔軟性を持たせるとともに、一部に倒壊があっても全体には累を及ぼさない仕組みになっていた。また大規模ホテルとしては世界で初めて全館にスチーム暖房を採用するなど、耐震防火に配慮した設計だった。
しかしこうした完璧主義は大幅な予算オーバーを引き起こした。ライトはそれでも林との個人的な友情でかろうじて施工の総指揮を続けていたが、1922年(大正11年)4月、隣接する初代帝国ホテルが失火から全焼すると、新館の早期完成は経営上の急務となり、設計の変更を繰り返すライトと経営陣との衝突は避けられなくなった。さらに当初予算150万円が6倍の900万円に膨れ上がるに至って、林は総支配人を引責辞任、ライトも精魂注いだこのホテルの完成を見ることなく離日した(同年7月)。一部完成済みの部分を利用してホテルは営業を再開した。
ホテルの建設はライトの日本における一番弟子だった遠藤新の指揮のもと、その後も続けられた。1年後の1923年(大正12年)7月、着工以来4年の歳月を経てライトの本館は完成した。9月1日に落成記念披露宴が開かれることになったが、関東大震災が東京を襲ったのは、まさに宴の準備に大忙しの時だった。周辺の多くの建物が倒壊したり火災に見舞われたりする中で、小規模な損傷はあったもののほとんど無傷で変わらぬ勇姿を見せていたライトの帝国ホテルはひときわ人々の目を引いた。ライトは二週間後このことを遠藤からの手紙で知り狂喜したという。
1945年(昭和20年)3月10 – 11日の東京大空襲では、本館中央部から南翼、孔雀の間、演芸場などに多くの焼夷弾が落ち、焼失は総床面積の四割強に及ぶ大きな被害を受けた。終戦ともに帝国ホテルはGHQに接収され、そこで大規模な修復工事が行われ、復旧した。
占領が終わって日本を訪れる外国人が再び増え始めたことにともない、1954年(昭和29年)にはライトの本館の裏手(現在インペリアル・タワーが建っている敷地)に客室数170の第一新館が完成、1958年(昭和33年)にはその横に地上10階、地下5階、客室数450の第二新館が完成した。これをうけて、1964年(昭和39年)にはライトの本館を取り壊し、その跡地に新たに鉄筋コンクリート造、地上17階、地下3階、客室数772の新本館を建設することが発表された。
震災にも空襲にも耐えたこのホテルの存続を訴える大規模な反対運動が起ったが、本館は地盤沈下などの影響で柱が傾き雨漏りがするといった老朽化の問題もさることながら、都心の一等地を占有する巨大な建造物の客室数がたったの270では話にならなかった。
ライトの新館は1967年(昭和42年)に閉鎖され、翌年春頃までに取り壊された。跡地に建設された近代的外観の新本館は、1970年(昭和45年)の日本万国博覧会開会に合せて、同年に竣工した。
「ライト設計の帝国ホテル本館」は、「ライト館」として、人々の想い出の中に生き続けることになった。ライト館の玄関部分は博物館明治村(愛知県犬山市)に十数年の歳月をかけて移築再建され、今日でも在りし日の面影を偲ぶことができる。また、東武ワールドスクウェア(栃木県日光市)では実寸比25分の1のミニチュアで在りし日のライト館全景を再現している。2005年(平成17年)4月、新本館14階の「インペリアルフロア」に新設された「フランク・ロイド・ライト・スイート」は、ライト館のさまざまな箇所に施された独特なマヤ調の意匠やライト独自のスタイルでまとめられた内装や調度品を忠実に再現したものとなっている。
フランク・ロイド・ライトが設計したライト館は残念ながら取り壊され、玄関部分だけ愛知県犬山市の博物館明治村に移築再建されていますよ。
自由学園明日館
フランク・ロイド・ライトと遠藤新の共同設計。1997年に国の重要文化財に指定され、現在動態保存として一般に開放、利用されている。
国の重要文化財になっており、見学する事もでき、公開講座、結婚式、コンサート、撮影などで多くの方に利用されていますよ。
ロビー邸
1906年のロビー邸はプレイリースタイル(草原様式)の代表的作品で、水平線を強調したスタイルになっています。
旧山邑家住宅
原設計は1918年で、ライトは1922年にアメリカに帰国してしまったため、実際の建築はライトのもとで帝国ホテルの建設にも携わっていた遠藤新と南信が行った。
山邑太左衛門の娘婿であった政治家・星島二郎が、遠藤新と大学時代からの親しい友人であったことから、遠藤新を通じて山邑太左衛門にライトを紹介したと考えられている。
竣工は1924年(大正13年)で、芦屋市街を一望できる高台に建っている。1947年から淀川製鋼所が所有し、社長邸や独身寮などとして使われた。
ライトが日本で設計した住宅建築としてほぼ完全な形で現存する唯一の作品で、その価値の高さから1974年、大正時代以降の建造物として初めて、かつ鉄筋コンクリート建造物としても初めて国の重要文化財に指定された。 1989年から淀川製鋼所迎賓館(ヨドコウ迎賓館)として一般公開されている。
ライトは敷地に対する建物配置が絶妙であるが、この旧山邑家住宅でも、それが実感できる。芦屋川が海に向かってまっすぐに行く寸前の折れたところの急峻な丘に階段状に建っているため、建築物が密集した現在でも芦屋川を通じて大阪湾が一望できる。 建物全体を眺めながらエントランスに導かれるアプローチ、迷路状の流れるようなプラン、室内外の空間の細かい出入りなどライトのよく使った建築手法が存分に反映されている。 また、ライトの日本の業績での特徴でもある栃木県産の大谷石を内・外装に多用し、細かい装飾が至るところに施されている。
日本の気象(多雨多湿)への配慮不足を指摘されることもあるが、ライトの建築は本国においても気象条件にあまり対応しているとは言えない。
1924年に兵庫県芦屋市に建てられたアトリエ兼住宅です!
ジェイコブス邸
1936年にウィスコンシン州マディソンに建てられた住宅です!
低価格で建築できるように無駄を無くし、設計されていますよ。
バーンズドール邸
1917年にロサンゼルスに建てられた邸宅です!
美しいステンドグラスを使用していますよ。
ベス・ショーロム・シナゴーグ
1956年にペンシルベニア州エルキンズ・パーク建てられたユダヤ教の教会です!
マリン郡役所
1963年にカリフォルニア州サンラファエル建てられた自治体の庁舎!
フランク・ロイド・ライト最大の公共建築で、まるで宇宙船のような奇抜で巨大な建築物です。
タリアセン・ウエスト
1937年にアリゾナ州スコッツデールに建てられたタリアセン・ウエスト!
自邸兼スタジオ、そして学校のキャンパスとしても使われていましたよ。
ユニティ教会
1904年にシカゴに建てられた教会です!
この設計には、日本の日光東照宮に影響を受けたと言われていますよ。
ユニテリアン教会
1951年にウィスコンシンに建てられた教会です!
教会らしからぬ斬新なデザインとなっていますよ。
どれも素晴らしい作品ですね。
以上で近代建築の巨匠フランク・ロイド・ライトが設計した建築物15選でした。
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